最高速で駆け上がる。
 そのテンション。ちょっとした事で全てが笑える、このテンション。猛ダッシュで駆け上がる、そのテンション。もうついてはいけないって、オマエらは笑うけど、アンタと俺だけは笑う。このテンションで、キャッキャとアホみたいに。面白くないって、何が?笑えるな、そんなこと言うオマエらすら。


ウィルス




「ヤベエよ、旭。マジヤベエな」
 玉深は、高い声でキャッキャと笑った。女の子みたいな笑い方だ。
 鏡を覗き込む玉深の目に映るのは、真っ赤な髪の毛。
「だろ、すげえだろ?赤だろ?」
 旭は、ブリーチ剤とかのゴミを片付けながらケケケケッと笑った。
「あれだな、マックのあいつとか思い出すな。何だっけ、ドナルド?あれだな、あれの頭だ」
「アフロにするか?アフロにしたら完全、ドナルドだ。しろよ、玉深」
「バッカ。俺、髪の毛短いじゃん」
「パンチパーマだな。いいなあ、パンチ玉深」
「オマエ、酒とか飲み過ぎだしな」
 そう言うと、玉深は、キャッキャと笑った。女の子は女の子でも、女子高生とかギャルとかの気違いみたいな笑い方に似ている。それも、何が面白いのか解らないのに笑っている。そんな感じ。というか、まさにそれだろう。
 全裸の玉深は、ティーシャツだけ羽織ってリビングに現れた。旭は、それを見て引き付けみたいにケケケケケッと笑った。フリーサイズだというシャツは、玉深にはデカ過ぎて、首周りは大きく開きすぎ、裾は太腿まである。なんだか憐れな格好になってしまっている。それは、玉深の記念すべき五十人目の元恋人の持ち物だった。身長は百七十と少しの玉深よりも十数センチも低いのに、体重だけは玉深の倍もあるという女で、ゴスロリっぽい格好ばかりしていた。話すことと言えば、何かの漫画のキャラクターについてで、玉深は何のことか分からなかったけれど、笑顔で頷いていた。少なくとも、旭にはそんな女のどこがいいのか解らないが、玉深はその女に入れ込んでいた。
 五十人もの人間と付き合っては別れを繰り返しているが、玉深から振ったことは一度も無かった。
 正直な話、玉深は見目が悪いわけではない。黙っていれば、あんな女よりもっといい女が寄ってくるだろう。
 アーモンドみたいな形の良いデカイ目。少し端の上がった、けれどやはり形の良い唇。確かに、十八と言う年齢よりもずっと男の子なナリで、カッコイイと言うよりはカワイイと言ったほうが当てはまるけれど…。旭の記憶する限り、玉深が中身も外見もマトモな奴と付き合っていた記憶が無い。デブのゴスロリの前は、たしか異様に貧弱でガリ勉の男だった。虐められては、いつもカツアゲされていた。そのくせ、セックスのときは、面白いくらいのSだと言っていた。玉深はその時の傷を見せては、やはりキャッキャと笑っていた。
「なあ、玉深。オマエ次はどんな奴と付き合うんだよ」
「ええ?分からないよね、そんなの。だって、そういうのは神様が決めることだしね」
 玉深は、敬謙なクリスチャンのように手を組み合わせて、ゆっくりと目を瞑った。それを見て、当然のように旭が笑った。
 パチッと目を開けた玉深は、キャッキャと笑いながら酒を呷った。
「なあ、旭。次はエクステとか付けてみようか?どう?」
「いいんじゃね?多分似合うぜ。白とか黄色とか、こう…キテルって色にしろよ」
「いいねっ、いいねっ。旭のプラチナブロンドもいいけど、こういうのも良くね?」
 少し長めのサイドの髪を指先で引っ張っては笑う。笑っては酒を飲む。ついでに煙草もふかす。
 一時間と立たずに、もともと汚かったリビングは、倍汚くなった。
「なあ、玉深。オマエ、あの女のどこが良かったんだよ」
「旭は、毎回訊くよな」
「でも、オマエ答えないしな」
「だからさ。ああいうのは役割なんだよ。なんつうの?神様の采配。だから、あいつらは俺に与えられたんだ。だから、その采配を俺が断る訳にはいかないだろ。解んねえかなあ」
「何それ?宗教?」
「宗教?何それッ」
 玉深はキャッキャと笑った。「宗教だって宗教だって」と何度も繰り返してはキャッキャと笑う。旭は全く解らないという顔をしている。首を傾げる旭の酒だけが減っていく。
 首を傾げ続ける旭。同じ事を繰り返し笑い続ける玉深。変化があるのはボトルのボンベイサファイアの量だけ。
 その狂った状況を終えさせたのは、やはりボンベイサファイアだ。
「ケケケッ。玉深、酒が切れたよ」
 同じ事を繰り返してはキャッキャと笑っていた玉深が笑うのを止めた。その顔は、まだ引き攣っていて、顔の筋肉が不自然だ。
「焼酎がある」
「マジでか?」
「マジでだ」
 真剣な表情で玉深は頷いた。二人とも異様に真剣だ。それ程重要なことなのか…この二人以外に人がいたなら、この状況の方で笑うだろう。けれど、真摯な二人は笑わない。真剣に焼酎のある場所を伝え、真剣な表情でボトルを手に取り、真剣にボトルを見詰めて開封する。
 そして、まずは旭が一口呷る。続いて玉深。
 二人は、安心したように長く息を吐く。
 そして、笑った。
「旭は、今付き合ってる人はいないの?」
 興味の塊みたいな顔で、旭を覗き込む玉深は旭の嫌いな女子高生とかギャルとかを思い出させる。けれど、玉深は女子高生でもギャルでもなく、むしろ男なので、旭は酒を呷ってケケケッと笑って答える。
「今はねえ、キャバクラのチーママやってる亜紀ちゃんと、ホストやってる亮治と、あと孝ちゃんとか、美沙ちん、有希子ちゃん、あとは…吏華」
 吏華という名前を思いのほか真剣な表情で言った旭を、玉深はやはり真剣な表情で受け止めた。
「吏華、元気?」
「元気」
 そう言うと、旭は再び酒を呷りケケケケッと笑った。玉深も笑った。
「やっぱり、そういう笑い方は吏華に似てるしな」
「マジで?俺と吏華が似てるところなんて無いと思ってた」
「似てるしな。目許とか、喋り方とか」
「でも、吏華の髪は白いだろ」
「オマエは赤いしな。何だ、紅白な兄妹になったな。紅白だって、年末かよ」
「俺はサブちゃんとか歌ったらいいのか?美川とかか?」
「ケケケッ、歌うのかよッ。歌うなよ、オマエ音痴だしな」
 笑いながらも、玉深は吏華の白い髪を思い出していた。玉深のそれと違い、吏華の白い髪は先天性のものだ。紫外線に弱いため、部屋から出られず、与えられた小さな箱庭で暮らす吏華。一緒に生まれたのに、完全な体を持って生まれた玉深と、欠陥を持って生まれた吏華。
「言っとくけどさあ、吏華は、自分の不自由を不幸に思っちゃいないしな。オマエは吏華から逃げるけど、吏華は誰のことも恨んじゃいないし、むしろ個性だとか言って笑ってるしな。見たかよ、吏華のゴテゴテした面白い格好」
「肌を隠すためだろ?」
「でも、面白いじゃん」
 吏華はいつも、ゴスパンクとかゴスロリとか、そういう格好をしていた。変な日傘とかを冬でもさしていた。不意に旭は思い立った。
 五十人目の女は、ゴスロリな格好をしていた。四十九人目の男は、痩せぎすで病的だった。確かその前の女は、髪を白く抜いていた。その前の前の女…前の前の前の……そう辿って一つずつパーツを寄り集めていくと、一人の女が出来上がる。
 吏華だ。
「なあ、玉深。俺は解ったよ」
 ケケケッと笑って、旭は何度も頷いた。
「神の采配じゃねえよ。オマエがひたすら求めてるんだよ。神なんていないだろ?采配とか、アホか」
「アホかだってッ」
 完全に酒に飲まれている玉深は笑った。もう一度、ケケケッと笑って旭はそれを忘れたように、真剣な顔をした。その射抜くような目に、玉深は笑った顔のまま停止した。凍り付いたと言ったほうが正しいのかもしれない。
 自分を捕らえて放さない。その目をじいっと見詰め返す。
「なあ。後は何が足りない?後は何を埋めたら吏華は出来上がる?それで、最後の重要なパーツは俺か?吏華の彼氏の俺か?なあ。俺がアンタに求められたら、それがラストの合図か?」
 ケケケッと旭は笑う。
 けれど、玉深は笑わない。
「なあ、吏華という人間を自分の中に作り上げてどうするんだ?吏華が欲しいなら、吏華自身を抱けよ。リアルの吏華に縋れよ、リアルの吏華の前に立てよ、リアルの吏華を犯して、手に入れて……」
 旭は、玉深を眺める。
 小さな、いや、大きな間違いに気付いたのだ。玉深は薄っすらと笑っている。あの気違いみたいな笑い方ではない。薄っすらと、口元に笑みを湛え…嫌な、嫌な笑い方だと、旭は思う。
「ああ。オマエは吏華を犯したり手に入れたり抱いたりしたい訳じゃあないのか…。オマエが吏華に犯されて抱き締められて受け入れてもらいたいのか…。なあ、玉深」
「キモイだろ。狂ってるとか思うか?」
「別に思わないしな。俺はSだけど、オマエはMだし。理解は出来ないけどな」
 玉深はキャッキャと笑った。「理解できないんだって」と二回繰り返して、また笑った。
「俺と吏華は一緒に生まれたよ。俺と吏華は一緒の物なんだ。それなのに、俺達は離されてしまった。そう、ここから全ては狂ったんだ。間違ったのは俺でも吏華でもない。周囲の大人たちが間違えてしまったんだ。なあ、吏華は笑うだろう?全く笑っていない表情で笑うだろう?吏華は喘ぐとき、体の芯は冷たいだろう?なあ、これって間違ってるだろう?」
 旭が吏華を抱く。
 白い白い肌に唇を落とす。舐め上げる。吸い上げる。「あっ」吏華が声を上げる。甘い声だ。けれど、旭の耳には冷たく聞こえる。多分、他の人間が聞いたら甘く切なく火照った声に聞こえるのだろう。しかし、旭にはそうは聞こえない。こういう声を出してイク女を、旭はもう一人知っている。
 旭の母親だ。
 旭の母は、旭の知らない男の体の上でそんな声を上げていた。そんな声を出すのなら、止めればいいのにと旭が考えていると、母と視線が合った。母と言う女は、赤いルージュの引かれた形の良い旭に似た唇を歪ませて、笑った。
「俺が家を出ようとした夜に、吏華が荷物をまとめた俺の元に来て言ったんだ」


「ねえ、玉深。私を抱いてよ。犯して、虐げて、離さないで」
 既に全裸だった吏華の体は、欲情というものより先に憐憫を相手に与えさせる。
 浮いた肋骨、肉の削げた体、僅かに膨らんだ胸は哀しげだ。
「親父とかに見つかったら怒られる。自分の部屋に帰りなよ。送るよ」
 玉深は、しまったシャツを頭から吏華にかぶせた。
 玉深は両親と一緒に住んでいたけれど、吏華は一人でマンションの一室に住んでいた。その部屋は窓ガラスには紫外線をガードするシートが全面に貼られていた。
「嫌よ。ねえ、玉深はずるいわ。私はどうしたらいいの?私を置いて逃げないで」
「吏華一人にはしないよ。だから、旭をあげる」
「旭じゃなくて、玉深が欲しいの。私は玉深の物でしょう?ねえ、私は玉深の自由になるのよ?」
「ダメだよ。それでは違うんだ。これじゃあだめなんだ。だから、旭を置いていく」
「解んないよ、玉深」
「旭は俺だよ。俺は旭の物だし、旭は俺の物だから」
「解んないよ。私は玉深の物なのに…」
 吏華は泣き崩れ、その場に座り込んだ。玉深は吏華の脱ぎ捨てた服を拾い集め、彼女に押しやった。
 しばらく煙草をふかしていると、泣き止んだ吏華が服を着て立ち上がった。その目はとても冷たく、悲しげで、玉深は泣きたくなった。けれど、泣きはしない。そういう風に泣くのは、吏華に失礼だと思うからだ。


 旭が皮肉に笑った。ケケケッと笑った。
「なあ、それじゃあ吏華は一生気付かないかもしれないしな。俺は、オマエのこととか、吏華のこととかは解るけど、吏華とオマエのことは解らない。けどさあ、俺はオマエの方法が正しいとは思わない」
 玉深は、旭を睨んだ。けれど、旭はそれには怯まないだろう。
「言わないと伝わらないんだよ。確かに、オマエと吏華は一緒の物だけど、言わないと伝わらないことのほうが断然多いんだよ。俺だって、訊くまでお前の考えは解らなかった。まあ、何となく解ったこともあるけど、それは僅かだしな」
 嘲るように笑う旭。その顔は少し楽しげで、だからこそ旭と言う人間が好きなのだと、玉深は思い出した。
 擦れ違って擦れ違って、それでも追い求めるのは、互いを必要としているからだ。もともと一つの物であったのだから、別々に生きることは出来ない。一つ一つでありながら、二つで一つ。それはとても難しい。けれど、考えるよりももっと簡単なことがある。
「なあ。俺ってバカか?」
 玉深は、真っ赤に染まった髪を指先で弄りながら言った。そのアホみたいな頭。けれど、その繊細な顔つきはやはり吏華にどこかしら似ている。
「うん。バカだな。でもさ、オマエは笑ってると良い。バカが悩んでも行き詰るだけだしな。あの気違いみたいな笑い方でアホみたいに笑ってろよ。俺は、アホみたいなオマエが好きだ。アホみたいなオマエが俺を求めて最後のパーツを埋めようとするなら手伝うさ。でも、笑わないオマエとやるなんて、勘弁だな」
 旭はケケケッと笑う。
 玉深は、そんな旭をしばらくじっと見詰めていた。
 そして、噴出すように笑う。
「俺、旭のこと超好きだ。マジ愛してるよ」
「は?キモイな」
 綺麗に顔をしかめた旭を見て、玉深は笑う。キャッキャと。
「キモイだってっ。キモイッ。旭ぃ、愛してるぅ」
 そう言いながら旭に擦り寄る玉深。逃げる旭。
 二人は明日になったら今日のことなど忘れているかもしれない。間違いなく二人は酩酊しているから。
「キモイだって。キモイだって」
 連呼しながら、玉深は、吏華に何度も口付けたという唇に、キスを降らせた。

 
end