もっともっと大きな声で叫べばいいの。



意気地なしの性





 私は本当はとても弱くて狡い。でも、貴方がそれを全て受け入れてくれるから甘えてしまう。それじゃあ駄目なのに。それじゃあ私は駄目になってしまうのに。駄目な私が好きな貴方は私を全て受け入れてしまうから、私はそれに甘えてしまう。どうしたらいいのか解らない。私だって考えているの。考えていたいの。ねえ、どうしたらいいの。

 市原は私をとても大切にしてくれる。
 市原の腕は何よりも温かくて、私はとても幸福になる。市原との生活は、甘い甘いチョコレートのような生活で私は本当はとても幸福だ。
 私と市原は中学の時からずっと一緒にいる。高校生になって、私が二人目の母親と合わなくて家を出てからは、一緒に生活をするようになった。私の父親が与えてくれたアパートの一部屋で二人きり、ずっと一緒に暮らしている。
 けれど、私と市原は恋人同士でも夫婦でも無く、何の約束も持たないとてもあやふやで曖昧な心許無い関係。私はそれがとても怖い。とても怖いけれど何も言えない。それが私の弱さだ。本当は市原が欲しくて欲しくて堪らないのに、それを口に出来ずにいつも酷いことばかり言う。
 市原は最低な男で、人を泣かせてばかりいる。それでも私は市原が好きで、大切で、自分だけのものにしたいのに、そんな男と一生を費やすことの困難から、何も言えないでいて、あげく他の男に体を預けている。本当に市原が私の前から消えてしまっても自分が苦しくないように他の人を傷付けているのだ。それが私の狡さ。
 きっと市原は全てを理解している。そして私の傍にいる。いつも私の傍にいる。私はそれに甘えてしまっている。このままじゃあ、私は本当に駄目になってしまうのに。
「榛名。俺、今晩遅いしご飯いらないわ」
「そう」
「榛名、訊かなくていいの?俺が誰とどこで何するかとか」
「別に興味無いもの」
 嘘だ。本当は、市原が誰と会って、どこへ行って、何をするのか、全て洗いざらい訊いて、それが市原の恋人の一人だったらそいつの代わりに私と遊んで抱いてと言ってやりたい。けれど、それを全て飲み込んで、私の口から出る言葉は「興味が無い」。本当の言葉はとても少ない。
「そう。別に良いけどね。今日は単にバイトだし。榛名も早く学校行けよ」
「市原は行かないの?学校」
「行かない。だって夜しんどくなるし」
「そう」
 そう言うと、市原は眠たそうにソファの上に横になる。それならわざわざ朝起きてこないで夜まで寝ていれば良いのに。市原は私の為にわざわざ起きてくる。私の為にと言っても特に何もする訳でもない。ただ私の傍にいる。寂しがり屋で、それすらも言葉に出すことの出来ない私の為に起きてくる。市原は本当に優しい。そう、本当の意味で優しいから、私は悔しい。私のどうしようもない矜持がとても悔しい。
「榛名。夜、一緒にご飯食べる奴いなかったら、浅野とかに連絡したらいい。あいつ等はいつも暇してるしな」
 鞄を持って玄関に向かう私の背中に市原の声。市原が帰ってこない夜は、私が誰かと外食することを知っている。一人でいられない私は、市原がいない部屋で独りでご飯を食べるなんて耐えられない。
 だから、誰かと一緒にご飯を食べて、誰かと一緒に眠る。
 何のバイトをしているかも訊けないけれど、市原はバイトがあるといった日は朝まで帰らない。市原の不在は、私のこの部屋からの不在とイコールだ。市原のいない部屋で独りで眠れないけれど、市原と私の箱庭に誰かを入れるのも嫌だ。
 私は、何も言わずに部屋を出て学校に向かう。こんな私も私は嫌いだ。

 学校は本当に詰まらない。市原と同じ高校に入ったけれど、市原とは違うクラスになった。しかも三年間まるまる違うクラスだ。どうしてこうも巧くいかないのだろう。三年生になってもう半年以上も経つというのに、本当に仲の良い友人なんてこのクラスにはいない。当たり障りの無い友人関係しか築くことが出来なかった。結局、友人と言えるような存在は腐れ縁の浅野くらいだ。
 けれど、浅野という男は市原以上に頭が狂っている。最上級の気違いだ。市原とどっこいどっこいで学校に来ない浅野が、今日に限って珍しく来ている。二日酔いなのか覚束無い足下で、ふらりふらりと教室に入って来て、そして私の前の席に座る。どこまでも腐れ縁な浅野は、私の前の席なのだ。
 浅野は市原同様最低な男で、同時に市原同様綺麗な顔立ちをしている。その為か、その最低な中身にも関わらず女の子達からは人気がある。しかし、その最低な男と唯一仲が良いのは、やはりどこか最低な人間である私だ。きっと当たり障りの無い人間関係しか築けなかった原因の一端はここにもあるだろう。女の子という存在は本当に怖い。こんな最低な男の為に、私は嫉妬と言う感情を甘んじて受けることになった。
「美希ちゃん。おはよう」
 体ごと振り返り、私の机に肘をついて見上げるようにして私を見る。椅子からお尻がずり落ちそうだ。
「おはよう。アルコールとニコチン臭い。臭い落としてから来なよ」
「ん、時間無かったしな。さすがに高校くらい卒業しておきたいし…市原は?」
「夜のバイトの為に仮眠」
「篠原は?」
「篠原のことまで私は把握してないよ。浅野の方が知ってるんじゃないの」
 私の言葉に少し不服そうに鼻を鳴らした浅野は、ケータイを取り出すとおもむろに電話をかける。篠原にだろう。
 篠原は浅野の友人で、確かに少し前までは私の彼氏だった。篠原は、市原や浅野よりは多少真面目ではあるけれど、やはり最低な男だ。浅野と遊んでばかりいる篠原をホモ扱いするという、よく解らない情け無い内容で私たちは結局別れた。約束事を持った以上、放っておかれるのが私は嫌なのだ。独りは寂しい。だから約束をしたのに、放って置かれた。そうやって期待を持たせるくらいなら約束を破棄してしまえば良い。それが別れた理由。本当に一方的な理由だ。私は篠原に対して「放っておかないで」なんて一言も言わなかった。
 私は浅野と篠原の電話越しのやり取りを聞きながら、ぼうっと教室を見渡す。一応、進学校として名高い学校だけあって、常軌を逸した格好をしている生徒はいない。みんなマニュアル通りの女子高生に男子高生の格好。
 教室の中には女の子とか男の子とかだけの輪がいくつかあって、みんな楽しそうに何かを話している。その幾つかの輪から、私と浅野だけが外れている。私もあの輪の中に入りたかった。けれど浅野がいる時はそれは叶わない。そういうようにこの場は仕組まれているから。浅野がいなくて私一人の時は、私もあの幾つかの輪の中のどれかに入ることが許されるのだ。
「美希ちゃん。今日、市原いないんだろ。なら、夜は俺等と一緒か?」
「…そうなるかな」
「オマエ、友達いないもんな」
 浅野はからかうように言ってから、電話口へ「美希、来るって」と篠原に伝えている。篠原は真面目、というか他にすることもないから学校に来ているのだろう。けれど、電話を使って会話をする。一つ教室を挿んだ場所に出向かずに。
 することも無い私はケータイを取り出す。市原から、何かしらメッセージが届いていないかとか期待をしつつディスプレイを見るけれど当然のようにそこには待ち受け画像が表れるだけだ。
 何かメッセージが欲しいのなら、自分からメールでも送信したら良いのに、私はそれが出来ない。そうして何にも興味がない風を装う。バカみたいだ。けれど、それが私の矜持。意味は無い。本当に意味が無い。
 始業のチャイムが鳴り、ガタガタと音を立てて輪が崩れて、散り散りに各々決められた席に着く。まるで何かのゲームみたいだ。
 先生が入ってきて、出席を取る。珍しく学校に来ていた浅野に先生は「後で生徒指導部に来るように」と伝える。きっと足りない出席日数を埋めるために、課題か何かを与えられるのだろう。けれど、きっと浅野はそれを容易にこなし卒業する。学校は来ていないけれどいつ勉強をしているのか、勉強だけは出来る。篠原も同様で、きっと二人はまた同じ大学にでも行くのだろう。
 英語の授業が始まる。授業といっても、受験に向けてひたすら問題をこなすだけ。これからの六時間全てそんな感じだ。私たちはまるで機械にでもなったかのようにそれらをひたすら解き続ける。勉強は嫌いだけれど、こういうのは嫌いじゃあない。無心になれる作業は心地が良い。
 目の前では、私よりも優秀なマシーンである浅野が問題を全て解き終えて、暇そうに隣の席の子の赤本の問題で遊んでいた。


 私たちは、制服から着替えるためにまずショッピングに向かう。
 私たちは高校生には似つかわしくない程のお金を所持している。それらは全て親から与えられたもので、愛情の代用品だ。本当は私たちだって、そんな物よりも愛情の方が欲しい。けれどそれはどうしようもならないから、代用品で飢えをしのぐ。どんなに物を手に入れても満ちることの無い飢えを。
「美希。絶対、グレイより白の方が似合う。そっちにしろ、そっち」
 篠原は私の服を手厳しく選んでいく。篠原はセンスが良いから、有り難い。私は篠原に言われたとおりの服を買い、その場で着る。制服は鞄に詰め込む。
「なあ。俺、この店マジ嫌いだわ。あの女のがモデルしてる」
 浅野が言うあの女のポスターが二階にデカデカと飾られている。一階が若い子向けで、二階が三十代向けのレディース物が置かれているから、あの女がイメージモデルをやっているというのも頷ける。あの女は、冬物の服を着て綺麗に微笑んでいる。
「美人じゃん。浅野にそっくり」
「は。キモイな。切り裂いて燃やしてやりたいわ」
 浅野は、苦々しげにポスターから視線を逸らすと、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる。
 この男の場合、本当にやりかねない。私はさっさと会計を済ませて、早々に店を立ち去る。面倒なので、上から下まで同じブランドで揃えた私は、まるでマネキンのようだ。
 私よりも先に服を調えていた二人は、もうご飯を食べる場所を考えている。私には何も聞かない。私が自分の意思を述べることなんて無いことを知っているからだ。
 結局、私たちはチャイニーズレストランに入った。雰囲気のあるちょっと良い感じのお店。
「親父プロデュースの店の一つらしい。最近、義理の兄貴と一緒に来たし、美希ちゃんこういう店好きかと思って」
 浅野の殊勝な言葉に思わず笑ってしまいそうになるけれど堪えて「ありがとう」とだけ言う。
 全ての席が個室になっていて、防音がされているのか店内はとても静かで、ゆるやかなジャズだけがゆったりと聞こえる。
 浅野の父親は飲食店のプロデュースとか経営をしているらしい。とても浮気な男らしく、正妻がいるらしいけれど恋人も何人もいて、浅野はそんな女達の一人から生まれた。浅野の母親は浅野を、浅野の父親の元に捨てた。浅野を生んでも浅野の父親を自分だけのものには出来ないと知ったからだ。いつだったか、酔っ払った浅野が呂律の回らない舌で喋っていた。どうでもいいことを喋るように、ニヤニヤと笑いながら。
「美希。回鍋肉好きだろ。食うか?」
「食べる。ねえ、回鍋肉肉抜きって出来ないかなあ」
「は、回鍋肉の意味無いだろ。良いよ、肉は俺らが食うし」
 浅野と篠原は食べきれないくらいの注文をして、ジャスミン茶を頼む。私たちはご飯を食べながらお酒を飲むことは滅多に無い。ご飯はご飯、お酒はお酒。それぞれを別に楽しむ。けれどそれは私が一緒の時だけで、彼らが二人きりの時は知らない。
「そういえば、浅野がバイト先で貰ってきてた入浴剤切れちゃった。あれ良かったのに、なんでバイト辞めちゃったかなあ」
「飽きたしな、金を稼ぐことに。稼がなくてもあるのに、これ以上稼いでも意味が無い。使い切れないし」
「そっか。篠原もバイト辞めたし、市原だけか…」
「市原も働かないで、美希ちゃんに縋れば良いのにな。あいつ変に律儀だし。ま、働けば女には困らないだろうけどさ。…それより、あの入浴剤良かったか?あれキモくないか?なんかこってりしててどろどろしてて甘い臭いするし」
 私たちは下らない話をしながらご飯を食べる。
 けれど、私はご飯の間にたまに入る市原の情報に集中する。聞き逃してしまいそうなくらい自然に会話に挿入される市原の情報。例えば「働けば女には困らない」とか「こないだあいつのバイト帰りに四条で遇って」とか…。本人に直接訊けない私は、当然、浅野たちに市原のことを訊くことも出来ない。だから、その小さな情報に耳を傾け、それをくっ付けて形にしていく。
「美希ちゃん、この後はどうする?遊んでから帰る?それとも直行?」
 ご飯を食べ終えると浅野はお茶を音を立ててすすりながら訊いてきた。その下品な様に顔をしかめるけれど、彼は気にも留めない。私は煙草に火を点ける。煙をいっぱいに吸って吐き出す。白い煙で目の前に靄がかかる。
「…疲れちゃった。お酒、買って帰ろう」
 帰る。帰ると言っても私の家に帰る訳ではない。篠原の家にしけ込むということだ。
 私たちは、夜でも空いているリカーショップに行ってお酒を買い込み、篠原の住むアパートに行く。

 篠原の部屋は、私の住むアパートよりは狭くて、けれど一人暮らしには少し広い。
 私たちは勝手知ったる何とかで、さっさと部屋に上がるとそれぞれに寛ぐ。篠原の部屋は換気がされていないのか空気が篭っていて少しだけくらくらする。それでも気にせずに浅野は煙草に火を点けて、ベッドに座り枕元をさばくる。篠原は気にした風も無く、私にビールを渡し、自分は焼酎を飲みだし私の横に座りテレビを点けた。
「なあ、美希。おまえ進路どうすんの?」
「進路?篠原はどうするの?」
 唐突な篠原の質問に戸惑いながらも、ブラウン管を眺める。篠原もブラウン管を眺めたままだ。浅野が、テーブルの上のビールに手を伸ばす。
「俺は、大学に行くつもり。浅野は知らないけど、俺は出席も成績も問題無いし、テキトーに大学に行く」
「そう」
「おまえ、ちゃんと考えてる?」
「考えてるよ」
「市原と同じ所とかか?」
「知らないよ。市原の進路とか。私は私の行きたい大学に行く。知らないもの、市原のやりたいことなんて」
 テレビでは今日のニュースが流れている。チカチカと目に焼き付く画面。殺された女とか、虐待されて死んだ子供とか、贈賄の容疑で捕まった政治家とか、そんな類のよくある話を淡々とキャスターは読み下す。リアリティーの無い世界。それでもそれらは現実で、私たちはそんなものに心を痛めることも無く、気を止めることも無く生活している。
 私たちにとって、今の私にとって重要なのは、セクハラで捕まった教師でも、同級生を殺した少年でも無い。市原という男のこと。知りたくて知りたくて仕様が無いのに、知ろうとすることを拒絶する私の矜持。
「市原は優しくなんか無いよ。言っとくけど俺らの方が数倍優しい。間違えるなよ、あいつの一挙一動を見間違えるなよ」
「バカだな、美希ちゃんも。市原なんかじゃなくて篠原を好きになれれば良かったんじゃないの。ま、篠原と別れてくれたお陰で、俺は美希ちゃんとセックス出来るんだけど」
 浅野は、ゲラゲラと下品に笑うと後ろから私の乳房を服の上から揉む。やがてそれはセーターの中、キャミソールの中に侵入し、直接皮膚を刺激する。
 きっと市原は、私と違う道を辿っても私と一緒に居てくれるだろう。あの部屋から違う場所へ向かい、そのどこかからあの部屋へ戻ってくる。
 解っている。解っている。私は市原という男を解っている。あの人は私が「愛している」とか「好き」だとか言わないから私を大切にしてくれるのだ。私がその一言を言ってしまったら、彼はどこかに言ってしまうかもしれない。私のテリトリーからどこかへ行ってしまうかもしれない。私はそれが怖い。けれどきっと市原もそれは嫌なのだ。だから、自分が知っている範囲でしか私を遊ばせない。私はそれを知っているけれどそれを口にしたら駄目なのだ。私は何も知らずに、知ろうとせずに、この矜持を保って…。
 私の中は矛盾だらけだ。
「悪いけど、俺は嫌いな女と付き合ったりしないしな。美希がいつまでもそのままなら、俺は市原から奪うよ。おまえが市原のことを忘れるように、監禁でもして、俺だけの物にする。市原が好むおまえのプライドとかを全部剥ぎ取って、俺のための物にする」
 篠原はグラスに残っていた焼酎を一気に飲み干す。浅野が私の首筋にキスを繰り返しながら「篠原はエスだからな」と言ってからかう。私はブラウン管を眺め続ける。背中を辿る浅野の唇は快感を喚起させる。けれど、私はブラウン管を眺め続ける。あの女がウィンターカラーのコスメのコマーシャルに出ていた。けれど私の体で遊ぶ浅野は気にも留めない。
 私は実の母親の顔を知らない。私を父親と義母に預けて他の男と逃げた女。それが私の母親。義母は愛人の子供にもとても優しく接してくれる人だったけれど、私は幼い頃から欲しいものを欲しいと言わずに生きてきた。それが私が思う良い子だったからだ。義母のためでも父のためでもない。私の為に私はそうして生きてきた。そうして作りあげた私という人間が私の矜持で、それが今の私の邪魔をする。「興味が無い」と言うのは知った事実で傷付きたくないから。大切な事を告げないのは失うのが怖いから。誰かのことなんて考えたこともない。ただ私が傷付きたくないから。そうして結果、たくさんの物を失って、たくさんの人を傷付けてきた。
「俺は、美希ちゃんがどうなろうが気にしない。俺とセックスしてくれればね。だから、篠原だけの物になるなら邪魔してしまうかもしれない。市原だけの物になるなら邪魔してしまうかもしれない」
 くくく。浅野は焼酎をボトルのままゴクゴクと飲み干した。口許の零れかけた液体を腕で拭うと、いやらしく笑い、私をベッドに引き摺り上げた。少しだけ残っていたビールが床に零れて、篠原の舌打ちが聞こえた。
「おまえら、シャワー浴びなくて良いの?」
 ティッシュで床を拭きながら篠原が言う。浅野は面倒臭そうに「一発やってから」と答え、さっき枕元で手に入れたゴムを出して、いつの間にか剥き出しになっていたペニスに装着した。
 彼のそこは既に屹立していて、何に興奮したのかよく解らなかったけれど、とても嫌な感じがした。ふとさっき連続して流れていた、あの女のコマーシャルを思い出す。浅野はあれを観ていたのだ。
 私のスカートとか下着とかを乱暴に脱がせて、浅野はまだ濡れていないヴァギナにやはり乱暴にジェルを塗りたくった。冷たいそれに思わず私は体を捩る。浅野が嬉しそうに声を立てて笑った。遠くで篠原がシャワーを浴びている音が聞こえる。私は目を瞑る。
「美希ちゃんって名器だと思うな。俺、美希ちゃんのアソコマジ好き」
 浅野はそう言うと、無理矢理ヴァギナにペニスを捩じ込んだ。痛かった。けれどそれもすぐに快感に変わる。体はとても単純だ。そういう風に出来ている。そういう性なのだ。
「なあ、俺と篠原。正直どっちが気持ち良い?」
「篠原の方が丁寧。でも、私は浅野のほうが好き。あんた乱暴だもの」
「俺は面倒臭がりだからな。なあ、篠原のも気持ち良いか?」
「見てるんだから知ってるんじゃないの?」
「知ってる。なあ、あいつ俺とやってくれないかなあ」
「何?浅野、あんたマジホモ?」
「違うよ。俺は酷くされるのが好きだから、あいつにメッタメタにされたら気持ち良いんじゃないかと思っただけだ」
 バカすぎる浅野の考えに、私は思わず笑う。笑うとアソコが締まるのか、浅野が少しだけ苦しそうな何とも言えない複雑な顔になった。
 私は再び目を瞑り、浅野の背中に手を回す。そして爪を立てる。首を伸ばして浅野の乳首を噛む。浅野は乱暴に私に腰を打ち付ける。濡れた音が耳に届く。いつの間にかシャワーを浴びた篠原がビールを片手に煙草を吸いながら、私たちの行為を見ていた。
「美希。おまえ、浅野との方が楽しそうだな」
「ん…。約束事の無い人とのセックスは気持ち良いわ。好きなだけ欲望が吐き出せる」
「そんなもんか?」
 篠原は心底呆れたように煙草の煙を吐き出した。
 浅野が私の中で果てて、私たちは縺れ合うようにしてシャワーを浴びに行く。部屋に戻れば篠原が待っている。篠原とのセックスもそれはそれで楽しい。けれど過去に約束を持った関係だから、どこか遠慮してしまう。素直に欲望を吐き出すことが出来ない。丁寧に扱われる体がじれったい。もっと酷く、もっと痛く抱いてくれたら良い。私の弱さを、狡さを咎めるように。
 何も知らなくて、面倒臭がりの浅野は私よりも自分の快感を優先するから気持ちが良い。そういうセックスは私に快感を与える。弱くて狡い私は、二人に抱かれて疲れて眠る。どろどろに溶け合った体を密着させて眠る。寂しくないように、眠っているうちに居なくなってしまわないように、抱き締めて眠る。
 市原が欲しくて欲しくて仕様が無い私は、違う男の体を抱き締めて、違う男に抱かれて眠る。市原ではない男の腕で安心して眠るのだ。私が独りではないことに。
 私はいつまでこの矜持を盾に生きていけばいいのだろう。本当は全て解っているのに、解ってていてもどうしようも出来ない。これは最早、矜持なんかではなくて、ただの意地だ。けれど、全て解っていて、その意地をどうすることも出来ないでいる。
 意気地なしで意地っ張り。
 私はどうしたらいいの。


 朝、アパートに戻ると市原がソファで寝ていた。
 私が帰ったのに気付くと「おはよう」市原は微笑む。私はそんな顔を見る度にどんよりと暗い気持ちになる。今にも市原にぎゅっと抱き締めて貰いたいという気持ちを押し堪えなければいけないから。言ったらきっと市原は私を何よりも大切なもののように抱き締めてくれるだろう。けれどそれを言ってはいけないのだ。そしてそれを知られてはいけないのだ。だから私はとてつもなく素っ気無くなる。
「おはよう」
 そう言うと、ダイニングの冷蔵庫へ向かう。そして、市原が昨日どこで何をしていて何を考えていたのかとかそういうことには一切興味が無いように振る舞い、そして冷蔵庫でたっぷり冷えたオレンジジュースを体内に流し込む。きっと市原は私の振る舞いに気付いている。けれど彼は何も言わないのだ。
「昨日は浅野たちと居たの?」
「うん」
 自分がそう指示したくせに、私が自分の言葉通りにしか出来ないことを解っているくせにそう訊く市原。私はこの男の真意を知っているのだ。本当は私だって解ってる。
 市原はどこにも行かない。決してどこにも。でも、私は言えない何も。言ってはいけないのだ。言ってしまえば良いのに、言ってはいけないのだ。そうしているのは私。どうしたら良いのか解っていても、どうしたら良いのか解らない。
「市原、今日は学校に行く?」
「行くよ。榛名、一緒に行こうか」
「うん」
 市原は私のことを榛名と呼ぶ。名前ではなく名字で。それは私だけのものでは無いのに。それが私が何も言わないということ。
「ねえ。篠原は私のことをちゃんと好きだったんだね」
「何?」
「私は、酷いのかな」
 市原は何も言わなかった。何も言わずに立ち上がり、小さく笑って「準備しようか」と自分の部屋へ言ってしまった。私は市原を責めることは出来ない。出来ないけれど思ってしまう。市原は酷い。きっと篠原を好きになれば楽だった。あのままで居れば楽だった。けれどあのままで居るということはいけないことなのだ。自分を守っているだけでは、人を傷付けるだけだ。
 浅野は学校には来ていなかった。私は、女の子達の輪の一つに入る。「おはよう」と声を掛けて笑顔を見せる。声を掛けられた女の子達は「おはよう、美希」と笑顔で迎え入れる。下らない話をして、私は駄目な私を忘れ、市原とか浅野たちの前とは違う私を作る。
 誰でもそうなのだろう。きっと今私の前で笑っている女の子達も、市原も、浅野も、篠原も。
 違う私。あんな下らない意地を張らない私になれたら良い。違う高校に通う彼氏にいつも「寂しい、会いたい」というメールばかり送っているアキみたいに。すぐ好きになっては「好きです。付き合ってください」と告っては振られてばかりいるヨウコみたいに。浮気ばかりしているくせに年下の彼氏に一日に何度も連絡をしているヒロミみたいに。本能や理性よりも意地ばっかりが強くて可愛くない私以外の私になれたら良いのに。
「でも、美希は少なくとも浅野の前では意地張らないだろ」
 授業後、まだホームルームの終わらない市原を待ちながら、篠原と私はグラウンドに降りる階段の前に座りながら部活動の準備を眺めている。
「浅野は私のことを何とも思ってない。きっと面白いオモチャか何かにしか思ってないんだわ。いくら浅野でもどうとか思っている相手には優しくするでしょう。あんな乱暴なセックスって無い。あれじゃあ私はただのダッチワイフ、人形だわ」
「でも美希はそれが気持ち良いんだろう。おまえは尽くされるよりも乱暴に扱われる方が好きなんだろ。これからはそうしようか」
「ああ、篠原はサドだって浅野言ってたものね。本当はそっちの方が得意?」
「なんでアイツが俺の性癖知ってんだ。まあ、でもさ、大事な子には優しくしたいだろ。フツー」
 篠原は照れ隠しでもするように、頭をガシガシと掻いた。
「今更、俺が美希を口説いたら市原は気が気じゃあないだろうな。あの男も相当厄介だ。俺や、特に浅野には理解できないな、おまえらは」
 篠原はそう言うと、浅野みたいに下品に笑った。
 篠原も理解できないと言ったけれど、一番理解できないのは私だ。私と市原の関係は本当に解らない。全ては私の、市原の一言が支配している。
「昨日、浅野が言ってた。篠原に抱かれたいって」
 私は、篠原と浅野の関係もよく解らない。いつも一緒に居る二人。友達とかそういう類よりももっとずっと深い気がする。
「は?なんだ。あいつキモイな。……そういえば、そんなこと、前にも言ってたけど」
「抱くの?」
「俺は、女の方が好きだよ。まあ、でも気持ち良いかもしれないな。…俺とあいつは似てるんだよ。ま、浅野は、ずば抜けて頭がキテるけどな。でも俺はそういうのが好きだからな。ああいう下品で下劣でどうしようもない物が」
 わたしの周りはバカで変態でどうしようもない男ばかりだ。そして、同様に私もどうしようもない。
 どうしようもないバカなルールに囚われている。それから逃れたいのに、脱出したいのに、出来ないでいる。それがとても嫌なのに。それがあるからとても寂しいのに。私は叫べないでいる。「寂しい」と。結局叫ぶのは違う言葉。まるで私は童話のオオカミ少年みたいだ。「オオカミが来た」本当に叫びたいのはそんな言葉じゃあない。
「美希はあれだな。ワンピースのウソップだ」
「何それ」
「知らない?ワンピース」
「知ってるけど…」
 漫画のキャラクターに例える篠原に呆れつつも、考えていたことを見抜かれた気がして驚いた。
「あ、でもあれはホラ吹きか。まあ、でも俺の言いたい事は解るだろう」
「うん」
「解ってても、美希は言えないだろうけどな。俺は、もっと早くそれに気付けば良かった。そうしたら美希は別れようとか言わなかったのかもしれない。でも、何も言わずに伝わる関係っていつかはきっと駄目になるだろうな。それなら俺たちが出来ることは一つしかない」
 そう。一つしかないのだ。
 気付いてと思っているだけでは駄目なのだ。口に出して言わなければ。行動に示さなければ。思うだけでは伝わらない。思うだけでは何の解決にもならない。大切なことは伝えなければ。
 陸上部の生徒がハードルを並べている。等間隔に並べられたハードル。それを走って飛び越える姿。とても綺麗なフォームだ。きっと、私はあれを飛び越える事は出来ない。きっとあのハードルの高さに竦んでしまう。きっとどんな壁よりも高く見えてしまう。
「ごめん、待たせた。帰ろうか」
 市原の声に私は振り返る。市原は微笑んでいる。この笑顔は、私以外の女にも見せるのだろうか。本当はとても嫌で、独占してしまいたいのに私は言う「興味が無い」と。
 本当は低い壁を、高くしてしまっているのは私だ。
 私たちは三人で並んで歩く。篠原の家で寝こけているだろう浅野を迎えに行く。そして四人で一緒に飲み明かす。下らないことを喋り、詰まらないことで笑い、私たちはそれを繰り返す。
 誰かが大切な一言を言わない限り。

 私は、市原が好きだ。とても大切だ。
 市原のことを愛している。
 市原がいないときっと私は駄目になる。今以上に駄目になる。
 篠原とか浅野に甘えていては駄目だと解っている。それ以上に市原に甘えていては駄目だと。
 それでも意気地なしで意地っ張りの私は何も言えない。全てはいつだって堂々巡り。

 ただ一言叫べば良いの。いつも心の中で叫んでいる言葉を口に出したら良いの。
 口に出すことが出来ないでいるのは本当はとても苦しいでしょう。とても悲しいでしょう。とても寂しいでしょう。


「愛してる」


 叫べない私の愚かな性。



end