わたしは貪欲だ。


「院を卒業したらどうする」
「これからも制作を続けていきたいと思っています」
 父の顔を見て、そう答えた。
 父の顔を直視するのはどれくらいぶりだろうか。
 そんなわたしの前に、一枚の写真が突きつけられた。
「これは?」
「卒業したら、結婚でもしたらどうだ。どうせ、制作だけは食べていけないだろう」
 それは、いわゆるお見合い写真というものだろう。けれど、それはひどくラフなもので、ただのL版の写真。
 そして、その写真に写る男も、これまたラフで、社内のイベントか何かの写真だろうか。シャツにジャージ、首にタオルを巻いて「タコヤキ」と書かれた看板を担いでいる。
「取引先の社長の息子で、三十二歳。アパやレストランの経営を任されているから、いちを社長だ。早大卒で、おまえには不似合いなエリートだ」
「勿体無い…」
「だが、向こうからの話だ。おまえの事が気に入ったらしい。少し前に雑誌に載った、おまえの作品を見たらしい」
 それだけ言うと、父はわたしの顔も見ずに日程を告げた。
「ああそうだ」
 さっさと仕事へ出かけようとしていた父は、本当に思い出したように、振り返った。
「あの、濃紺の振袖が良いな」
 そう言って今度こそ、会社へ行った。
 仕事人間の父だった。まともに話をしなくなったのは、わたしが父の反対を押し切って美大を目指した時からだろう。それでも、学費だけは出してくれるし、こうやってわたしのことを心配してくれている。
 有り難いという気持ちは、忘れたことは無い。




作りあげる日々





 だから当日、わたしは知り合いの美容院に、濃紺に大輪の花の咲く振袖を持ち込んだ。
「りっちゃん。良い着物を持ってるじゃない。友禅ね、珍しい柄だわ。さすがお金持ちは違うわね」
「母のなの」
「へえ。で、さあ、渋谷はなんて?」
「いってらっしゃいって」
「本当、詰まんない男ね」
 昔からの友人である、美容師の森田は下品に笑いながら言った。
 森田とは、もう中学の時からの付き合いだ。二人でいつも悪いことばかりしてきた。
 オネエ言葉で喋る森田は、姉が三人いるが長男で、ゲイでも変態でもない。
「でもさ、渋谷はあんたがいなくなると困るんじゃないの?ねえ、りっちゃん、あんた結婚するの?」
「解らない。だって、こんな写真一枚よ。まともなプロフィールも知らないんだもの」
 髪をセットしている森田に写真を見せる。
「いくつ?良い男じゃない。俺には負けるけど」
「たしか三十二歳って聞いたわ。いちを社長らしいわよ」
「いいじゃない、結婚したら社長夫人ね」
 森田は茶化すように言った。
「結婚したらね」
「したらいいじゃない。パトロンみたいなものよ」
 わたしは、森田を見る。もちろん、鏡越しでなく直接。視線が合うと、森田は微笑んだ。
「森田。今、彼女は?」
「俺?いるわよ、何人か」
「最低ね」
 前を向きなおす。
 鏡の中には、わたしと森田がいる。
 実際、わたしは結婚も悪くないと思っている。
 卒業後は、助手にと先生に望まれている。それをしつつ制作をしたら良いと。
 今の恋人である渋谷は、結婚をする甲斐性は無いだろう。確かにわたしは渋谷を愛しているし、渋谷もわたしを愛してくれている。
 けれど、それだけで二人が生きていけるとは思っていない。
「りっちゃん」
 鏡越しの森田が微笑んだ。少し長めのアッシュブラウンの髪。整った、少し幼さの残る顔が崩れて、八重歯が見えた。
「ずっと美人にしてあげるからね」
 森田の指が、わたしを作りあげる。


「日高章治です」
 スーツを品よく着こなす目の前の男は、写真よりもずっといい男だった。
 三十二歳。新進のブランドを中心としたショップや、カフェやレストランを経営している。親会社は、美容や化粧品を取り扱う会社らしい。
 仲人と日高が話をしている間、わたしはひたすら黙ってご飯を食べ続けた。日高は父や仲人たちと話しながら笑ったりしていた。話している内容は、わたしにはよく解らなかった。
 そのうち、ドラマとかで見たように、私と日高の二人になった。
「美味しそうに食べるんですね」
「え?」
 わたしは顔をあげた。箸はお刺身に届いている。
 きっと、こういう場合は普通、あまり食べずにいるものなのだろう。
「とても幸せそうに食べる。良いですね」
「そうですか。普段、こういうものは食べられないので」
「食べ溜めですか?」
 日高は笑った。笑うと、少し幼くなる。嫌いではない雰囲気だ。
「森田にも食べさせてあげたい…」
「森田?」
「わたしをキレイにしてくれた人です」
 思わず、口をついて出た言葉に反応されて戸惑いつつ答える。
「キレイに?」
「…美容師です。悪友の」
「悪友」
 日高は静かに笑った。やっぱり破顔した顔は三十には見えない。少年のように幼かった。
 いちいちわたしの好きな雰囲気の男だ。
「あなたの作品を見ました。先日、美術館でやっていた公募展の…」
「ああ。観に行って下さったんですか、ありがとうございます」
「ええ。小野社長からDMを戴いたんで」
「父から?」
「ええ」
 わたしは少し驚いた。そして、同時に父に頭を下げたい思いでいっぱいになった。
「…どうでしたか?」
 刺身を諦めて、わたしは箸を置く。
「素晴らしいですね。以前、あなたの作品を雑誌で見ました。とても力強く、生命力を感じます。凄い迫力です。あなたの、視線で世界を見てみたいと思いました」
 そこまで言うと、日高はお猪口を呷った。
 細い首。きれいな喉仏が上下する。「どうぞ」わたしは徳利を差し出す。
「あなたの視線で世界を見るということはできません。俺は、それでもあなたの世界を見てみたいと思いました」
 穏やかに、静かに話す日高。同じようなことを言ってくれた人がもう一人いる。森田だ。
「あなたの作品は、絶対に世界に通用する。俺のような思いを、世界の何千、何万もの人たちが感じると思います。あなたは世界に出るべきだ。俺はあなたの視線で世界を見ることは出来ないけれど、その視線を何人もの人に感じさせるための手助けなら出来る」
 日高はまっすぐわたしの目を見た。
 きれいな形の良い二重の目だ。
「今、あなたに一番必要なものは何ですか?」
「……お金、です」
 わたしは少し視線をそらした。
 父は学費は出してくれている。けれど生活費や制作費は全て自分で負担していた。仕方ない、わたしは父の示した道とは外れてしまったのだから。けれど、それは父がわたしを愛していないとは違うというのは解っている。
 父はわたしに苦労をさせたくなかったのだ。制作という厳しい道を進むことを反対したのは、それが理由だ。
 けれど、その道に進んでしまった娘が少しでも苦労しないで済むように…。だからDMを日高に渡したのだろう。きっと、他の会社関係にも配ってくれているのだろう。
「では、俺と結婚しませんか?あなたに必要なものを全て用意しましょう」
「…結婚」
「した方が、あなたも気兼ねなく受け入れられるでしょう」
 森田の言葉を思い出した。「パトロンみたいなものよ」。
「愛の無い結婚ですか?」
「あなたは俺のこと、嫌いですか?」
「嫌いなタイプではありません…けど」
 言葉に詰まった。こんな所で求婚されるとは思っていなかった。
 だって、まだ会って数時間しか経っていないのだ。
「俺は正直、一目惚れしました。あなたと、あなたの作品に」
 わたしは日高の目を見る。いい男だ。人間としても悪くない。
「この場で求婚するのは行儀が良くないですね」
 今度は日高が俯いた。
「わたしは同棲している恋人がいるんです」
「そうですか」
「あなたにはいらっしゃらないんですか?」
 この場に来ている人間に失礼な質問だとは思う。けれど日高ほどの男を、女は放っておかないだろう。
「困ったなあ。いますよ、何人か」
 日高はまた、あの幼げな顔で笑った。どこか森田を髣髴とさせる。
「それは、日高さんにとって、どういう女性ですか?」
「そうですね。会社を運営していくのに必要な女性たちです」
「彼にとってのわたしもそういう存在なんです」
「そうですか」
 彼はじいっとわたしを見ている。
「結婚で、あなたの関係が崩れてしまうのなら、するべきではないと思います」
「…何だか契約のようですね」
 彼は笑って言った。
「結婚は契約ですよ」
「そうですね」


 数日後、わたしたちは契約した。
 それは法的には婚姻という名の契約だ。
 わたしの髪を切りながら、森田は興味深々に訊いてきた。
「それで、渋谷はなんて言ったの?」
「おめでとうって」
「詰まんない男ね」
「それでも、わたしは愛している」
「バカね」
 森田は、俯いた。
「それでも、彼には才能がある」
「でも、りっちゃんがいないとダメになる」
「だから、わたしは今も渋谷と暮らしているわ」
 そう。日高と結婚した後も、わたしは渋谷と暮らしていた。
 だから、その生活は何も変わらない。
「本当に契約ね。その日高って男と式はあげるの?」
「ええ。披露宴もやるわ。向こうや父の知り合いが山ほど来る。式は、わたしの卒業後にやるの」
「あんた、卒業後は助手になるんでしょ?」
「大学の先生も呼ぶべきかしら?」
「そうねえ。あ、俺のことも忘れないでよ?」
「ヘアメイクは森田にお願いするわね」
 森田の手が止まる。
「任せて。どこの花嫁さんよりもキレイにしてあげるわ」


 式をあげた。
 父や日高の会社関係者ばかりで、わたしには然程面白いものでは無かった。
 けれど、森田はわたしをキレイに着飾ってくれた。
 式には渋谷は呼ばなかった。けれど、今も渋谷と一緒に住んでいる。
「わたし、自分の作品のために渋谷を捨てるのね」
「あんたの人生だよ。俺は、あんたの好きにしたらいいと思うわ」
 大学の先生に、留学を勧められたのだ。とても行きたかった。勿論、日高はそれを喜んでくれた。
「渋谷は、わたしがいないときっとやっていけない」
「そんな弱い人間が、作家としてやっていくのは無理だわ。一人で立てない人間が作ったものが、世で独り立ちするなんて、到底無理な話よ。きっとあんたがいなくても、いつか淘汰されていくわ」
 わたしは笑った。
「森田は渋谷に対して強烈よね」
「当然よ」
 森田は、コーヒーを一口啜った。
 森田の部屋は、殆ど家に帰らないせいか綺麗に整っている。今日も「五日ぶりに帰ってきた」と言っていた。彼女のところでも渡り歩いているのだろう。
「俺は、りっちゃんの味方だからね。渋谷は確かに才能はある。それは認めるわ。でも、りっちゃんの負担になる。りっちゃんを犠牲にして、一人前の才能じゃあ意味は無いわ」
「わたし本当は凄く行きたいの」
 森田は頷いた。
「りっちゃんが行くなら、俺も行こうかしら」
「え?森田が?」
 突然に告げられた言葉に耳を疑う。
「そうよ。実は俺も、うちのお店の先生から、勧められてるの」
「行きたい?」
「行きたい」
「森田が行くなら、行くわ」
 わたしは森田の目をじっと見詰める。
 もしかしたら、わたしは森田と恋愛をした方がずっと良かったのかもしれない。でも、この関係だから上手くいったのだ。


 あたしの手を強く握った渋谷の手は大きかった。
 もう二度とこの手に抱かれることが無いのだと思うと、寂しかった。
 日高は仕事で空港までは来られなかった。それでも、昨夜一緒にご飯を食べ、別れ際にキスをくれた。
「君がより素晴らしい作品を作れるよう願っているよ」


 長かったわたしの髪は今はとても短い。
 森田が切ってくれたその髪は、二年後、どのくらい伸びているのだろう。
 その時のわたしは、どのような作品を作っているのだろうか。
 今、わたしの目の前に有るのは、広大な道無き未来だ。それでも、不安は無い。





end


サツキちゃんへ捧ぐ